西浦観音堂
静岡県浜松市天竜区水窪町西浦 西浦観音堂 TEL 053-982-0013(水窪町教育委員会)

- 略 歴 -
719 | 行基菩薩が観音像を奉祀、祭り始まる |
1930 | 折口信夫博士により東京初上演 |
1955 | 西浦田楽保存会発足 |
1976 | 国の重要無形民俗文化財 第一号の指定を受ける |
1978 | 吉川英治文化賞受賞 |
2011 | 国民文化祭 京都2011 全国田楽祭出演 |
2013 | 京都大学大学院シンポジウム6月講演、11月上演 |
取材日:2013/07/07
私の考えでは、この田楽がこれだけ長く続いてきた理由は、どんな時も自給自足で出来る祭りであることです。次に、女性の寛大な心と絶大な力です。この田楽は、よく男だけの祭りと言われますが、とんでもない。その男たちを支えてきたのは女性です。日頃から母親が子の手をひいて観音堂にお参りに行くなど、母親の心が常に観音様のこの祭りに向いているのを見て子どもが育つことが、存続の大事な要素なのです。
私が舞に初めて参加した22歳の頃、84歳の能衆のお爺さんから彼の子ども時代の田楽の感想を聞きました。昔の方言で「先輩の能衆は皆かたくなで、どうしようもなく恐ろしかった」と言うのです。年を計算すると江戸時代の話です。そのように厳格な戒律による結束力も、大きな力になっていると思っています。
今まで、大饑饉や太平洋戦争の時なども、私たちの先祖は涙ぐましい努力をして田楽を続けてきたでしょう。その価値の凄さ。小さな村の小さなお堂の小さな祭りですが、私たちにとっては大きな祭りなのです。
私は45年舞ってきました。今いる能衆の中では中堅より少し上です。次の世代を支えて伝えていくという今の立場にいることがとても楽しいです。本来は神事であって人に見せる田楽ではありませんが、保存会の役割として広くアピールするために、国民文化祭の全国田楽祭に若い衆を連れて参加したり、京都大学大学院のシンポジウムで講演したりしました。今後も、そういう活動は続けていきたいです。
私たちは各家が石垣の石の1つなのです。石が皆しっかりしていれば、石垣(祭り)は成立します。そして各家が各々の責任を果たしていれば、田楽は存続するのです。各家で代々受け継がれている精進料理や儀式は、内容もそれぞれ違います。皆、他の家の細部のしきたりや儀式は知りません。それでも田楽が近づいたら、誰に声をかけることもなく自然に集まるのです。
でも今、その石のいくつかが欠けようとしています。後継者問題が深刻です。藁をもつかむ思いでいます。数件の家がタスキを渡す相手がいない状況です。田舎暮らしに興味のある女性にぜひお嫁に来ていただきたいのです。
静岡県浜松市天竜区水窪町西浦 西浦観音堂 TEL 053-982-0013(水窪町教育委員会)
719 | 行基菩薩が観音像を奉祀、祭り始まる |
1930 | 折口信夫博士により東京初上演 |
1955 | 西浦田楽保存会発足 |
1976 | 国の重要無形民俗文化財 第一号の指定を受ける |
1978 | 吉川英治文化賞受賞 |
2011 | 国民文化祭 京都2011 全国田楽祭出演 |
2013 | 京都大学大学院シンポジウム6月講演、11月上演 |